保育の質は、お子さんが「安心安全」に過ごすことができることができる環境であるか、「興味関心のある遊びや豊かな経験」がたくさんできるかどうか、そして「環境(物・人・時間)が意図的に構成されているか(自由という名の放任になっていないか)」に集約されます。
一方で保護者から見た利便性、建物の大きさや設備の充実、行事の多さなどは、保育の質と大きな関連性はありません。例えば手ぶら登園やおむつの園処分などは利便性が向上します。また、立派な建物や充実した設備はとても魅力的です。しかし、それらに多くの比重を置きすぎず、子どものためのおもちゃや画用紙などの材料費や保育に使う備品、一人ひとりを丁寧に見るために職員を増やすなど、子どものための環境が整えられるような費用の配分になっていることが重要です。また行事が多すぎると遊ぶ時間が少なくなってしまうかもしれません。
一斉保育・自由保育・担当制などの保育のスタイルも様々ですが、どちらかかが優れていて、どちらかが劣っているというわけではありません。それぞれメリット、デメリットがあり、どちらかしか選ぶことができないというものでもありません。一斉保育ベースの園でも自由保育のような時間を作ることもできますし、自由保育の園も一斉活動がないわけではありません。また、わざわざ大人が担当を決めずとも、子どもが自然と関係を結んだ保育者が育児行為に関わっていくことで、緩やかな担当制のような形にしていくこともできます。
また最近では、子どもが「自ら学び、育つ」ことを重視し、その意思を尊重する姿勢が、子どもの自律性や探求心を育むことを追求する風潮を強く感じます。これ自体はまったく悪いことではないと思いますが、風潮の裏側で従来型の教育保育のすべてが悪いものかのように語られることがあるように感じます。これらの考え方は、フィンランド(主体性)やハンガリー(担当制)などをはじめとする外国の教育保育に強い影響を受けていると思われますが、例えば主体性を追求した教育改革が浸透した今、フィンランドのこどもたちは、簡単で面白いものを主体的に選ぶ傾向が高まり、学力低下を招いているとの見方があります。主体性を追求する中で自由と放任が入り混じってしまったのかもしれません。また認知能力と非認知能力は本来表裏一体のものだと思うのですが、まるで別物かのようにとらえられ、結果として乳幼児期では非認知能力に注目しすぎ、認知能力の発達を軽視してしまう誤解も与えているように思います。
このように教育保育の方向性は、単純にどちらか一方が優れている・劣っている、二者択一という関係ではありません。どのような教育保育スタイルでも必ず一長一短があります。国や地域や文化など園の環境によって適したスタイルがあり、何に比重を置くかのバランスもそれぞれだと思います。
これらを見極めるには見学して園の雰囲気を感じることが重要です。保育施設は決定する人(保護者)と保育を受ける人(こども)が違います。大人の目線も大切ですが、お子さんの目線も入れながら、見学できると良いですね。
